新年が始まってもう一ヶ月も過ぎてしまいました。

とっても遅くなりましたが、今年もよろしくお願いいたします。

今年初めのお話しは、職員会議で伝えたかったことの一部を掲載します。
感染爆発している時ですので、今月は職員会議は休止。
立春をテーマにお話しをしますね。

コロナ禍の中、さらに感染爆発している中で神経がすり減るような想いで日々過ごされているかと思います。

先週の段階でどうにか3回目のワクチン接種の予定が決まりました。
体調を整えて挑んでいただければと思います。

さて、新年を迎えて1ヶ月が経ちました。
皆さんは、新年に志した目標はどうですか。
継続して挑戦する人。早くも三日坊主になっている人。
様々かと思います。

先日、ちょうど立春を迎えました。
暦の上では春が始まりました。
立春は、春が立つと書きますが、この立つと言う言葉は「始まる」という言葉と「それまでなかった現象が現れる」という意味があるという。
確かに立春から数えて88日目に茶摘みの最盛期を指す八十八夜があり、稲の開花となる二百十日が立春を機転に始まるのを見ると立春をスタートの日として考えても良いかもしれない。

それまでなかった現象が現れるとも言う立春。
ただ、待っていたら何かが現れると言うことはない。
立春までの間に、強い寒さがあり、寒さの前にしっかりと蕾を蓄えている。
桜などは、一定期間の寒の時間があって温かな春の日差しによって花を咲かせる休眠打破となる。

春の兆しが、花を咲かせる知らせ。
しかし、その兆しには寒い寒の時間がなければ花は咲かないことをいみしているのだろう。

時々、お話しする事ですが、「兆し」に手を付けて挑む(いどむ)とするか辶(しんにょう)という道を付けて逃げるのか。
ときに逃げるも必要なこともありますが、兆しに挑んでからの事なのだと思う。

さて、この兆しは、春のような暖かい兆しよりも寒さ厳しい兆しもある。
自身の花を咲かせるためには、暖かな兆しよりも寒さ厳しき兆しの方がより大きな自分へと咲かせていける。
自然の中に生きる私たちは、やはり、その自然の摂理が私たちに生きる意味を無言で伝えているということに気づかされるというか気づかなければならないのだろうと思う。

兆しに気づく。
それは、真剣に自分に向き合い生きているからそこ気づけるのだろう。
難しい事に、苦しいことに挑戦したからこそ自分が成長したんだと、あとから気づけるものなのだろう。

立春から数日。
スタートラインから、再び歩み始めました。
さて、私は何を目標に挑戦している?
そして、兆しを見失わずにキャッチしているかな。
コロナの感染爆発で気が滅入りそうですが、目線はちょっと上に。
暖かな春に向かって、心だけでも両手を広げて羽ばたいていきたいですね。