さて、相手を理解し共感する仕事をする私たちは、この難しい理解をどうしていったらいいのか。

 

それは、徹底的に相手の話を聴くことに尽きると言いますが、またまたこの聴くが難しい。

私たちは、相手の話を耳にした瞬間に相手に対するイメージや先入観、また私自身の価値観でその話を判断してしまいます。

ですからその相手を理解する大切なコミュニケーションの段階でフィルターをかけて事実を事実として受け止めていない状況となってしまいます。

 

なんだか、相手を理解することは難しいのを超えて、出来ないとなりそうですが、そんな難しいことをしているのが私たちの仕事なのですからもっと評価をして欲しいものですし、聞くことが苦手であれば、もっと勉強しなければ…ということになりますね。

 

さて、この話に繋がる学びに哲学の環境世界の理解という分野がある。

環境世界は環世界とも言われていて、それぞれの動物が知覚し作用する世界の総体が、その動物にとっての環境であるとし、環世界説を提唱したものだそうです。

 

ややこしい説明ですが、要は、私たちには私の世界があって、私が見た“それ”と相手が見た“それ”は受け止め方が違うのだと言うことなんだそうです。

当たり前の話ですが、その当たり前をコテコテと考え理由をつけていくのが哲学ですからしょうがない。

以前マイケルサンデルは「哲学を学ぶことは大変興味深いものであるが、その反面当たり前の出来事が当たり前として捉えられなくなってしまうのも哲学です」と話していることから哲学は難しいもので混乱するものなのだと思います。

 

さて、この環境世界についてですが、先週までで2話まで進んだのですが、Eテレの哲子の部屋で中心になる話題でした。

そこでは、環世界は私たちそれぞれあり、受ける感動は違う。と言うことを説明してました。

 

相手を理解するには、先ほどの話の通り相手の話をたくさん聴くことで相手の世界を理解できるという。

 

環境世界には学ぶことで獲得できる

学べは違う世界を理解できる。

学びによって環世界に変化を与えることができる。

 

学ぶことは人生を充実させ、人と人とを繋ぐ力になるのでしょう。

 

学びは楽しむためのトレーニングとの説明に、勉強はやだなぁと思う私に、なんだか心理を突かれたような感じで納得感があります。

 

哲学を学ぶことは概念を獲得するためのもの。

 

私たちは、この哲学をしっかりと中心に置いて仕事をしているのだろうか?

「概念を獲得する…」凄い言葉ですよね。

何が凄いって…。

 

たとえば…。

書き出したら止まらなくなってきた。

本当は、来月の金沢市での講義資料やある分野のテキストの一部の原稿を書かなければならないのに…つい現実逃避。

 

本来の仕事に戻ろう。

続きはまた…。