蛍の光からほぼ半年お休みしていたつぶやき。
蛍の輝きは気づくとクリスマスのネオンの光になってしまいました。
今年はなんとも忙しいこと。
暇なく動いた1年だと思うのでした。

さて、半年ぶりに書く内容は、どんな内容にしようか…。
そうそう、気づくとトランプが大統領!
トランプ現象の危険性を以前つぶやきに書きましたが、その危険性は今なお、引きずってしまっていますね。
怒りと愚痴のふたを開けると、それを整理してふたを閉めることができなくなってしまう。
怒りや愚痴は言い出したら止める事さえ難しく、吐き出した言葉はまるでブラックホールのように、身の回りの些細な不満や怒りさえもかき集めては飲み込み、それを周りへと伝播させていく。

愚痴の怖さは哲学者フロムも「愚痴は破壊性が潜む」と語るように人間関係さえも壊してしまう。

それを物語るように、トランプ支持者は、Make America White Again と落書きする者など白人至上主義を訴える者などヘイトクライムが激化。
それに反対する者は大統領として認めないとデモ行進をする…。
人間の邪悪な部分のふたを開けたしまったトランプ氏は、今後どのようにふたを閉めていくのだろう…。

混沌とした今のアメリカから透けて見えるのは、特定のひとりを見るのではなく、抽象的な括りでまとめられた集団。
黒人は…とか。
ヒスパニックは…とか。
移民者が全員が問題があるのではないし、黒人だからそれがなんなんだ!と言いたくなるほど、ひとりの人を見ずに抽象的に人を括り批判し否定する。

こうした発言には、隣にいる優しく親しい特定の友人は目に入らない。
普段の私たちであれば、隣にいる友人が悲しめば、大丈夫かと優しい言葉をかけ支えようとする。
誰でもどんな人であっても人には優しさがある。
たとえ、差別的な発言をする人であっても…。

しかし、怒りや愚痴の集団にハマり、事が行き過ぎるとそうした親しい友人にさえも見えなくなり傷つけてしまうのだろう…。

だからこそ、人間の可能性と多様性を認められない言動を止めなければならない。
それには、善き人と出会い、一人ひとりと建設的で前向きな心で語り合うことから始まります。
それは、特別な人ではなく、指導者と呼ばれるスーパーマンでもなく、一市民一人ひとりの力と連帯によるのだと思うのです。

心が貧困としか言いようのない発言や行動に、今こそひとりの人の想い大切にする行動が重要なのだと思うのでした。

ちょっとグローバルすぎるようですが、実はこれは、身近なところにもある話。

「認知症だから」「介護者は大変だから」そういった括りで私たちは見ていないだろうか。
認知症であっても、人はそれぞれの個性的表現もすれば、生き方もこだわりもある。

介護者は大変です。でも、人それぞれ大変なところには強弱があるし、こだわってしまうところもある。
それは、必ずしも認知症が原因とは限らず、その人を取り巻く人間関係や生活環境によって影響していくものでもある。



私たち支援者として、人それぞれの個性を具体的に理解し、“◯◯さんだから”という個のひとりに焦点を当てて生活者としての“人”に光を向けていくことが大切なのだと思うのです。
「介護者」「認知症の人」として一括りにせずに…。

そしてもし、抽象的にまとめられた状況にあるのであれば、私たちがその状態をほぐしていく。
そんな役割が支援者にはあるのだと思うのです。

私たちは抽象的な一括りとした視点の怖さに気づき、目の前のひとりの“人”を大切にしていく。
そして、支援者として決してそうした状況を許さず、変えるための対話を諦めない。
そんな支援者が、今の社会には必要であり重要な役割を持つのであろう。
到底そんな支援者には、自分はなれていないけど、そうなるように努力をしていきたい…。

そんな想いを、雨がりの星の輝きを見ながら思うのでした…。