久々にスガシカオがTVに。

PROGRESSの次の新しい曲と突発性難聴に苦しむ自身の体験。

そして、言葉の大切さを再確認しながらの新曲の話。

その新曲の作られる過程の話と新曲の歌詞を聴いて、様々なことを考えさせられた。

スガシカオの歌詞に魅力を感じていた自分。

紆余曲折の人生が、そして一つひとつの出来事を正面で受け止め体験した苦しみや喜びを等身大で表現する。

心から言葉を絞り出して書かれているその歌詞に心を打つものがあるんだと実感しました。

彼の言葉に対する思いと、高校教師になりたかった意味を通じて、なりたかった職業にはなれなかったけど、やりたかった仕事の本質には近づいていることを番組のスガシカオは語っている。

妙に共感するものをたくさん感じた約1時間。

心に過ぎるものがたくさんあった。

その思いをつらつらと書いてみようと思う…。

 

そもそも夢ってなんだろう。

たとえばスガシカオが言う仕事も…。

 

以前夢だった仕事に就くことができたら夢が叶ったとか。

夢の仕事に就けなかったら夢が叶わなかったとか。

でも、なぜかなりたかった仕事や立場、役職になったとき、それで満足はしていなくて、叶ったと同時に、次の夢が生まれている…。

それが人間の欲望といえばそうかもしれない。

自分の欲望を満たすための夢はきりがなく、諦めることなく次から次へと求めるのであろう。

それが欲望になっているときは、自分のやりたい仕事は次から次へと上を求めてそれに近づこうとする。

しかし、それは欲望に振り回された幻想という形であって、本当になりたかった心の中にある思い描く、なりたい自分からどんどんかけ離れていっているのだと思う。

だから、気づくとこんなはずじゃなかったと思うのだと思う。

人はそもそも、自分の欲望のために生きるのではなく、人のために何かをしてあげたと思って生きているのだと思う。

少なくても、子どもの頃は、何かをしてあげたとき喜んでいる笑顔やその姿が単純に嬉しくて、もっと何かしてあげたかった自分がいたはず。

でも、夢が自分の夢だけになったとき、歯車が壊れるように欲に駆られるのだろう。

名誉欲や独占欲なども…。

 

自分の為の夢でなく、誰かのためを思うものであれば、欲望のような貪欲さではなく、小さな事でも優しさとして心が満たされていくのだろう。

そう考えると、何かの仕事や役職になることが夢だったのではなく、思い描く人間になるためにどんな仕事をしたいのかということなのかもしれない。

仕事は夢を叶える手段に過ぎない。

どんな自分になりたい?

どんなことをしてあげたい?

そんな何になりたいのかなどを語り合うことが大切で、それが夢として心に問い語るものなのかもしれない。