前回の続き…。

前回は、安田純平さんが3年4ヶ月ぶりに武装勢力から解放され帰ってきたら「自己責任論」の嵐だった話。

そして、同じ身柄を解放されたフランスのジャーナリストへの対応の違いに、「日本人にとって、シリアの情報は必要ない。また欲しくない情報なので、どんなに命をかけて取材してきても『自分勝手に行ったんだから』という考えになるのではないか(要旨)」とのコメント。
確かに、自分にとって必要なことをしてもらったら“感謝”となるが、必要ないことをしたらそれは“勝手”となるのだろう。(それはそれで、心が淋しいですが…)

どんなに社会的に必要なことであっても、判断基準は私という己心の価値観と主観による評価。
ならば、自分にとって必要なことをどう捉えているのか。

たとえば、自分の人生を自身の半径数メートルで判断し、先々のことは考えず一瞬一瞬の感情で判断し行動するのか。そして自分くらいが何かしても何も影響はないと考えているのか。
それとも、自分の人生を社会と繋がっていると考えて、どんな状態であれ人は他者に影響を与える存在なのだと理解しているだろうか。

また自身も社会もお互いに影響し合っていると考えられるだろうか。
見方によって全く違う意見と行動となる。

それは、今般のEUからイギリス離脱についての国民投票結果に揺れる様相をみると、そのことは、よりリアルに感じる場面でもある。
一時の身の回り感情と思慮なのかどうか。
見方でその後の行動は大きく影響される。

先日、人生に悩み苦しみ、今、地から這い上がろうと力一杯に生きようと歩みはじめた大切な友が、話に来てくださった。
それはそれは、とっても嬉しいことでもあるけれど、同時によくぞここまで来てくださったとその勇気に、その心のエネルギーを振る絞って来てくださった想いに感謝しきれない。

その友人が、次のことを語る。
「今まで、何かをやらかしてしまった人(バイトテロみたいなことなど)は、自分勝手にやったことだからモザイクや名前など隠す必要などないんじゃないかと思っていた。でも、そうじゃないんです。その人は自業自得だけれども、その行為自体に何にも関係ない家族や親戚、友人や取引先の人にまで影響が出てしまう。だから、このモザイクや名前を隠すのは本人の為でもあるけれど、周りへの影響でもあるんだなぁと気づけたんです」と。

悩み苦しみながらも、他者への想いを向けるその人らしい姿は、自分自身が学ばなければならないと思う姿だった。
そして、悩み苦しむからこそ見えてくる相手を思う大切な人生観なのだろうと実感する。

しかし、それとは正反対の行動もある。
風評被害がそれである。

それとは、正反対の一面がある。
東名高速でのあおり運転死亡事故での風評被害。
あの事故自体は、あまりにも酷い。誰が見ても怒りでしかない。
しかし、その怒りが間違った正義感で、あおり運転をした運転手の名前と仕事が建設作業員という情報だけで、全く関係ない運転手と同じ地域で同じ名字の建設会社に、運転手の息子と無責任な書き込みからが発端で、無関係の建設会社への嫌がらせの電話などがなされた。 
勘違いや噂話で全く関係ない人にまで影響を与える。
本人への贖罪を求めるだけでなく、その周りにまで贖罪を求める。
それは、自分には直接関係ないことや他人のことなのに、直接鉄槌を下すような行動や言動。
なんとも表現しにくいこの感情は、どこからくるのか…。
それは、被害者への共感というにはちょっと違うような気がする。
一つの事件をキッカケに、自身の中にある怒りの基に火をつけられただけなのかもしれない。

無責任な噂話。
そこには、先々のことなど意識しない姿が見え隠れする。
自分の個人的感情と狭い価値観。
これらで相手を判断することが、どれだけ相手を傷つけているかなど考えにも及ばない。
自分のテリトリーに入って来られることに“個人情報だ”と踏み込まれることを拒否するのに、自身は、興味本意で他者のことは、土足で踏み込んでいく。
それも、楽しそうに事実と想像をつなぎ合わせて虚実を作り上げていくことも…。
そこには、個人情報を守るなど何も意識されていない。
また私たちの場合、仕事だからという理由で思考しないままのルーティーンワークで気づけなかったり、支援するためというその情報がどのように役立てるかの視点もなくただ情報だけを集めて自身の個人的価値観で判断する。

マスコミュニケーションの言葉では、自身の興味とそれを正当化する「知る権利」という言葉であったり…。
考えれば、私たちは無意識に人の権利を侵害し興味という欲求に踊らされて人の尊厳さえも踏みにじる…。

私たちの仕事も同様に危険が隠れている。
その人の人生の歴史を聴き出していく。
それを聴いてケアに、いかに活かしていく視点があるのか。
それとも、ドラマなどを鑑賞するような感覚で次へ次へと興味の情報を得ていこうとするのか。
その先は大きく違う。

安田さんが投げかけた話は、ニュースの中のことだけでなく、実は私たちのごく隣にある話なのだと実感する…。