家族支援は、子どもの支援においても、介護においても、大切な視点の一つとしながら様々な支援活動が展開され、実践されている。

私たち法人としても、宅老所もくれんとしても、介護者家族の支援は、開設してから一貫として変わらない大切な支援の一つでもあります。

介護者支援。
介護者支援は介護者のみの支援では成り立たず、私たちで言えば認知症の人本人を含めた支援であると考えています。

そして、介護者支援と家族支援は別とも考える必要があると思うのです。

介護者という個の単位と家族という集団の単位。
なぜなら、介護者家族にとって、認知症のその人自体が環境の一部であり、認知症のその人にとって、介護者家族は環境そのものになっていて、両者は、互いに関係し影響し合っていることは、支援活動をしていると、ひしひしと感じるからです。

そして、介護者はその所属する家族という集団の単位の中にいるが、その集団にも影響され、その家族という集団は個の介護者の姿に影響を受ける。
それは、理解ある家族や理解ない家族によってストレスの影響が大き変わってくるし、介護者の健気に真摯に向き合って人のために尽くす姿は、家族の心を大きく変えていく大きな影響を示していく。

なので、家族支援と介護者支援は本来別々に考えながら行うものなのです。

認知症の人の想いを大切に受け止め支えながら、介護者が抱える困難な状況を支える。
介護上の課題であれば、具体的に支え、精神的な苦痛であれば、心にそっと手を当て共感し、受容しつつ励まし続ける…。
また、介護者を支援しながら、認知症の人自身の心のうちにあるその人そのものの優しさや凛とした姿を家族の心に届けるように伝え続ける。

介護者家族の支援とは言えども、介護者家族のみを支えるのではなく、両者を支えることであって、認知症の人・本人の延長線上に介護者と介護者家族の支援がある。
なぜなら、介護者にとって認知症の人の存在は環境の一部であり、認知症の人・本人にとっても、介護者・家族は環境の一部(認知症の人にとって、介護者や家族は一部どころか、かなり影響のある環境かもしれません)でもあります。
そして、なによりも家族の存在は、第1次的な福祉志向の集団とクーリーが言うように、人が生きていく上での大きな影響を持つ
人的な環境でもあるのです。

なので、本人を抜きにした支援は、「介護」という部分での支援であって、介護問題という単独に存在する一部分の問題解決にしか過ぎず、人が生きていく上での人生という単位での環境が大きく変わっていく支援にないことが多いと思うのです。
言い換えれば、認知症の人本人と介護者の生活や生命の質の支援ができたとしても、人生の質の向上にまでは及ばないと思うのです。
よく、簡単な言葉でQOLの向上とは言いますが、QOLのLにあたるLIFEを生命と捉えるのか、生活と捉えるのか。
私たちが自己実現を図る時、LIFEは“人生”という枠で考えることとなるかと思います。
であるならば、介護者への支援は、ケアの仕方という生命や生活の仕方や支援方法。そしてその先にある介護者の人生の質へのアプローチを視野に入れた支援をしていくことが大切になってくると考えるのです。

そう考えると、介護者が悩む苦しみには無駄などはなく、全ては人生質を大きくする機会だと看ることはできないだろうか。

ビクトル・ユゴーは「大きな苦悩は、魂を大きくする」と言葉を残しているように、私たち支援者は、苦悩する人の悩みを取り除くのではなく、その苦悩を乗り越えていけるように励まし“続けていく”こと。
それは、介護者の人生の質を向上させていく大いなる自己実現へと歩んでいくともに歩む伴走者としての私たちの使命であり責任でもあると思うのです。