前回のつづき…。

ヒルティは語る「この世の小さいものに注目せよ。それは、私たちの人生をより豊かにし、より満ち足りたものにする」と。

私自身、大きな出来事や全体ばかりが気になって、小さな出来事やコツコツ積み上げられる過程をちょっと無視しがち。

全体ばかりを見ていると、細かなところでいろいろなことが起きていることに気づけない。

家事などを例に挙げるとわかりやすいかな…。

家事は、炊事、洗濯、掃除、買い物と理解していても、ご飯は、お米だけではなく、おかずを作る。そして、どんなおかずにするのかを考える、食材に合わせて調理する。

掃除も出たゴミを分別したりゴミ出ししたり、物をどこに置くのか整理をしたり。

家事とは言っても、そこには沢山の細々した小さな行動の積み重ねがある。

さらに、名前のない家事などはいい例だと思います…。

でも、見えているのは、家事の結果だけ。

結果までの過程が見えていないと、家事は簡単なものにしか見えないのかも…。

例えば、毎日値切りのお弁当だと「朝夕と毎回お弁当って、手を抜いてないか!」とお父さんの不満が出てくる。

ならば、お父さんがご飯を作る。

すると、たしかに美味しいものができても、食材料費がかかりすぎて1ヶ月持たない。

作っても片づけない。

炊事1つも大変なことにになる。

家事援助という支えも、そう考えると過程を飛び越してしまうと「ご飯=お弁当」という答えしか出てこない。

 

忘れていたこと。

それは、何気なく通り過ぎる小さな出来事に目を向けてみること。

すると、沢山の動作の小さな積み重ねであること。

なんとなくではなく、誰かがいつも気づかってやっていること。

その結果で今が成り立っていることに気づかされる。

それは、回らなくなった時に初めて気づかされる。

家事などは、母親が病気で倒れた時に気づく。

そんな感じのように…。

 

私の仕事も同じこと。

誰かがどこかで見えないところで支えている。

それがあるから、きっと今の結果があるのだろう。

 

そう思ったら、些細なことにも意味を感じるし、目を向けないと…と思う。

そして、感謝することも…。

それがとっても大切なことなんだと。

それに気づけたら、きっと人生は豊かになっていくのだろう。

 

しかし、それが難しい。

頭ではわかっていても、心は言うことをきかないことが多い。

心に余裕がないと、それが容易ではない。

 

小人閑居して不善をなすという言葉があります。

よく、誤用される言葉なのですが、誤解釈で言われる「暇だとロクなことをしない」としてみても、暇だからではなく、いっぱいいっぱいで行き詰まってしまったらやはり糸が切れたように崩れてしまう。

 

また、正解釈の「誰からの目がないと悪いことをする」とありますが、そうではなく、ひとりで考えなければならないと、やはり行き詰まっていっぱいいっぱいになる。

そして、やはり判断を誤ったり、気づけず方向を誤ってしまう。

 

それを、乗り越えていけるのが、相互の信頼と配慮なのだと正月早々に振り返り、思い巡らしたことでした。

 

善き友、善き仲間の存在が大切とつくづく思う…。

振り返ってみれば、この法人を立ち上げたのは4人。

そして、時間を置かず、さらに賛同してくださり実質5名からの事業開始。

まもなくひとり。またひとり。

一人ひとりと支えてくれる仲間が増えていきました。

ヒルティは「すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ」と語っているが、まさにこの15年の基は、違った視点や考え方を持ったメンバーが侃侃諤諤(かんかんがくがく)の意見を述べ合いながら基礎を作り、今や事業運営を10人で行い、法人を外から支援し応援してくださる方々が数え切れないほどたくさんとなった。

当時では、考えもしなかった今の姿である。

 

それもこれも、多くのみなさんの小さな積み重ねと思いとが重なることによって、この瞬間も成り立っていることを実感しています。

それは、誰一人欠けても、バランスを失い流れが変わってしまう。

もちろんそれによって、立っていることさえ困難にもなることも。

全ては、一人ひとりの人の想いによって組織は成り立っているのだと考えさせられる15年間でした。

それを実感として気づけたのは、私ひとりが作ってきたのではなく、みんなの日々の積み重ねと影の努力によって作られてきたのだと頭ではなく、身で実感することができたから。(やっとか!)

 

俺についてこい!の初期の組織運営から、相互の信頼と配慮の運営に今は変わって行かなければならない時になったのだろう。

 

昔、恩師が「上に立つようになって、時が経ったらボロ雑巾の役割」と語っていたこと「リーダーは、励ます存在」と語っていたことを忘れていた。

 

今や、自分は組織の中では雑巾の役割にならなければならないのだろう。

自分にはできるのかな…。

愚痴など言ってられないなぁ…。

 

2019年はどんな年になるのか。

それは、どんな年にしたいかから始まるものですね。

 

揺るぎない理念を抱えつつ、柔軟に立ち居振る舞っていけたらと思う。

 

傲慢さと謙虚さを繰り返しながらも、ボロ雑巾の自分になれるだろうか。

きっと、ボロ雑巾だけど、正絹だぞ!と見栄を張ることもあるかもしれない…それでも、戻る心の位置をボロ雑巾と決めておきたい。

そして、励ましを送るリーダーにならなければ。

決意と挑戦。

 

それが、今年の私の目標になる。