今日は世界人権デー

 

「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」で始まる「世界人権宣言」

これは、1948年12月10日、パリで行われた第3回国連総会で採択されたのを記念して1950年の国連総会で記念日したのが最初の話。

国連は、すべての加盟国にこれを記念する行事を実施するよう呼びかけました。

 

以前、静岡の人権週間のポスターに

いじめられて苦しくて、色々あって、どうしようもなくて、「どうして死んじゃいけないの?」とわたしは思った。

考えた。感変えた。考えた。…考え抜いた。

そうして、少しずつ動き出した。

動き出すことで、心が溶け出してきた。

何か、何かしたい。

自分が必要とされることを。

 

そう書いてありました。

私たちは支援者であり、こうした思いにどう寄り添うのか…。

それは自身の心によるところが大きいのだと思う。

 

人の不幸の上に自己の幸福を築かぬ生き方を。と考える。

しかし、現実はどうなのだろうか…。

 

誰かが犠牲になっていることにより成り立っているのが今の現状のような気がする…。

その現状は、個のポテンシャルが落ちているからなのだろう…。

それを変えるためにはどうしたら良いのか…。

たぶんその個のポテンシャルを上げていくところにしかその答えは出せないのであろう…。

 

個のポテンシャルはどう上げるのか。

苦しい状況に身を置いて、その現象を変えるべきものは何かを考え抜く弛まない努力なのだろう。

そして、戦い語り続けることなのだろう…。

野坂昭如氏が亡くなったが、反戦の発言はまさにそこにあったのではなかった…。

この人権宣言・世界人権デーのこの意義の日に亡くなられた事に考え深いですね。

 

今日は、久々にウイスキーを飲みながら考え事をしてみよう。

「♪ソ・ソ・ソクラテスか、プラトンか~。?ニ・ニ・ニーチェか、サルトルか~。みんな悩んで大きくなった~♪」