日本のラグビーの活躍は、4年後の日本で行われるワールドカップに大きな盛り上がりの波をつくってくださいました。

 

有害無益とされた組織が、何千億の競技場を作ることよりも、人が行動で示す影響の方が多くの人々の心を動かす事を示したような感じがします。

 

さて、この強い日本ラグビーを作ったヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏

今回、日本のヘッドコーチを引退することなったそうで…。

ラグビーは、サッカーや野球のようにフィールドにいて、指示を出すスポーツとは違い、試合になるとフィールドから離れ選手自身が判断し戦う。

だから試合までの監督からの訓練は、試合での大事な準備と方向性を伝える時間となる。

 

ヘッドコーチのエディーは、辞め方やその後のことについて、いろいろ言われていますが、それはそれとして、このエディー・ジョーンズがヘッドコーチになったことで選手が大きく変わり、強くなったことは間違いない事実。

 

たとえば、選手の訓練。

とてつもない過酷な訓練は、強靱な身体を持ち、強豪と言われるエディーの地元のオーストラリアの選手でさえ根を上げる訓練を日本の選手はその倍以上の訓練を行う。

その結果、体脂肪率は5%減。筋力は20%増。

私たちであれば、あり得ない話ではないですが、日々訓練しているアスリートがさらにこの結果を出すのは驚異的だと言いわれます。

そんな訓練の先にこうした活躍があったんですね。

 

訓練なしで、なにかの成果はありえない。

その中でも、自身の内面さえも鍛え積み上げていくための努力はかなりストイックなもの。

決められたルーティンの練習とさらなるバージョンアップの訓練。この訓練と練習ほどに違ってくる。

 

さて、私たちの仕事はどうだろう?

同じように鍛えの日々なのだと思う。

ことによっては、私たちの仕事は知識や技術を鍛える以上にメンタルをどう鍛えるかとなるであろう。

このメンタルは技術的なもの(メンタリスト?なるもの)ではなく、自身の体を鍛えるように心を鍛え上げることのように思う。

様々な困難や悩みをどう乗り越えてきたのか。

それら

 

自身の経験や体験は援助者にとって大切な共感力となる力だとなる部分でもある。

 

しかし、経験や体験は、その時々の精一杯の体験であって、過去の自分のその時代の悩みは、その時代だからこそがのもであったり、その時の境涯だからこそ納得できる答えでもある。

人が成長していくと共に様々な悩みや苦しみが考え方を変化させ、その変化はさらに最善の解決策や考え方を作っていく。

 

いうなれば、悩みや苦しみが自身を大きく成長させてくれるということなのですが、さて、問題なのはどう解決して行ったのかが、またまたその後を左右させる。

そこで、自身を鍛えてくれる師に出会えるのか。

自身を甘やかせてくれて、守ってくれているような成長の機会を止める優しき堕落者の師に出会うか。

 

エディージョーンズは鍛えの師であったことがわかる。

 

ただ、もう一度エディーとやりたいかの質問に選手からは「もういい~」と笑顔で答える姿からは、相当きつかったんだろうとうかがえる。

しかし、数年後「あの時間が~」と思える時は必ず来ると選手誰もが思っているのだろう…。

 

鍛えるとは容易ではなく、自身の限界を感じた時から成長が始まるのだと感じるラグビーの一幕でした。