足の早いウサギと足の遅いカメと競争してカメが勝ったというイソップ寓話の中にあるウサギとカメ。
この話の教訓は自信過剰に対する戒めとコツコツと実直に積み上げることで大きな成果をもたらすという意味として寓話。
このウサギとカメの話を通じて、恩師はさらにこんな話をしてくださっている。
「なぜ、カメは勝ったのか?それは、ウサギはカメばかりを見て走ったが、カメは、常にゴールのみを見つめて歩んだからカメが勝った」と。
確かに、ウサギはいつも「カメは遅いな〜」「カメはどこを歩いてる?」と、カメばかり気にして、結果カメが見えないほど後ろにいるのなら、ここでひと休みしても大丈夫と居眠り。
そのうちにカメがゴール。
反面、カメはウサギの行動や言動に揺らぐことなく、只々ゴールを目指して歩み続ける。
カメが見ているのは、周りのことではなく自身の定めたゴールのみだった。
私たちもなんらかのゴールを目指しているはずですが、そのゴールは周りの人であったり、それら他者による評価がゴールとしていないだろうか。
誰かの評価を基準にした自分の目標は、自身の環境(人的環境や物理的環境)によってやる気になったり、やる気が失せたり。
とはいえ、周りを無視して「協調せず進んでいけ!」ということではないことは、きっとみなさんもわかるかと思う。
自分の目標は何に基づいて立てられた目標なのか。
周りの人によって作られた世間という目標であれば、その世間によって意図も簡単に変わっていくことになる。
自己の中の確固たる目標であれば、さまざまな波風にも侵されずに進んでいくことができるのであろう。
問題は、自己の中でどのような確固たるものができあがったのかも大切な分かれ道。
自分に向けられる風にどう向き合ったか。
侵されながら自己防衛で組み立てられたものなのか。
それとも、その風をきちんと指導する師匠、恩師に支えられながら対話によって正しい哲学に則って組み立てられたのか。
正しい哲学って何?と聞かれることがあるが、その判断の方法もちゃんとある。
例えば、全体主義か否か。歴史的証明がなされている思想か。その哲学によって結果はどうだったか。そして他者への受容の視点があるのか。など、挙げ出せばきりがない。
話はそれてしまったが、自分はどこを見ているのか。
人を見て動くと世間の波に流されたり、自己内にあるエゴに流されてやすい。
大きな目標に向かって進むことは、それを達成するための小目標の達成の積み重ねによることに気づかされる。
コツコツなのである。
周囲は雑音になってくる。
カメのように、目標に向かってコツコツ積み上げる力を身につけたい。