前週話の内容
何を伝えようとしているのかわからない?
そうかもしれない。
私の中で沸々と湧く想いの話だから。
要は知識つけて、どんなにその人を助けたとしても、心が伴わなければ技術の提供でしかないということ。
もちろん一般的には、技術の提供は悪いことではない。
ただ、私たちの仕事は技術自体に特殊性がある。
私たちの技術は、対人関係を主としたもの。
私たちの技術は、人を支えるものであり、使い方によっては人を傷つけてしまう技術でもある。
またこの技術は、自分の利益のために人を操るものと同性質の技術という影の部分も持ち合わせている。
まさかそんなこと?と思うだろうが、福祉職が高齢者を騙して〜という事件。
騙された本人が、騙されたと思えずにいるという現状を見れば、自分の利益を優先する自分本意で他者への想いが消えた姿。
専門技術を悪用する福祉職としての倫理違反がそこにある。
悪意がなく、角の立たない言い方をすれば、“人たらし”という表現が合っているのかもしれないが、そこに悪意が加わり自分の利益のために人を操るとなると、最悪な姿へと変容するのだろう。
だからこそ、心こそ大切なのです。
支援する私たちのその心はどう鍛えられていくのか。
たくさんの学びの上に、心を鍛える困難と向き合い続けるその勇気。
人生上の苦難の体験が、人の中へと入っていける大切な鍵となることは以前から語っているとおり。
共に悩み共に歩む。
自分の意見と合わない人がいて初めて自分の枠を知り、限界を知る。
誰もが自分なりの枠がある。
限界もがある。
それが、自分を鍛え、人への思いやりへと繋がっていく。
自身の心との戦いに、影の世界へと引きづり込まれてしまいそうな難局に挑めるのだろう。
だからこそ、あるべき姿とは何かという理想の姿を知ることが大切なのです。
そして、理想の姿を学び、それを実現するために学ぶ。
目の前の大切な人のために自分は何ができるのだろうと悩みからの学び。
知識は、そこから始まるのだろう。
ただし、机の上で理論遊びをしているのでは、知識は実践的ではない。
知識を体験という現実の世界に繋げて、心砕いてこそはじめて成長をしていくのだろう。
机上の空論。
それは、理想論とは違う。
机上の空論は、そこには自分以外の人がいないのです。
さらにつづく…。