七夕の願いは見られましたか。

これはもくれんに通われている方が書かれた短冊です。

この「今のままで充分だ」の言葉をみて、唯々凄い!の一言でした。

悩みがなく苦しくもなくというわけではなく、日々の暮らしの中で苦しさはあるはずです。

いや、ちゃんとあります。

私たちのケアの場では、認知症でわからないことが増え苦しい態度を見せます。イライラもあります。

それでも「今のままで充分だ」という言葉は、様々な苦しく辛い出来事があっても、それをも乗り越えてのこの言葉なのだと思うのです。

私たちは喜怒哀楽の喜と楽だけにしようとケアをしたり、怒と哀のすべてを取り除くことばかりに終始するケアをしていなかっただろうか。

私たちは決して避けることができない“生老病死”があります。

私たちは、生老病死を取り除くこともできなければ、身代わりになってあげることもできない。

ただ、私たちができることは、それら避けられない苦しみを乗り越えられるように支えること。乗り越えるために共に悩み共に苦しみながら励ますことしかできないことに気づかされます。

まさに、エンパワーメントを高める支援が大切になってくる。これは以前からずっと話し続けていることですね。

ここに私たちの“価値”の真髄があるのです。

ではこれらをもとにどう支えるか。

それはうちのスタッフしか教えられません!

というか、言うは易し行うは難し、言うほど簡単でないのが私たちが生業とする支援ですからね。

 

今回3回に分けて記していますジャスティスについて、コロンビア大学で国際紛争解決センターを設立したシートンホール大学のアンドレア・バルトリ博士は、「たとえ、善なるもののあり方を教える場合でも、強制や一方的な訓戒に頼ってしまえば、可能性の開発はおろか人の道を誤らせてしまうおそれがあるのです」と話されています。

ハンナ・アーレントは“悪の陳腐さ”“悪の凡庸さ”という表現で悪について定義することとなったアイヒマン裁判。

裁判でアーレントが見たアイヒマンは、絶対的怪物化した悪の権化では決してなく、指示に従うだけの“思考の欠如”という思考の停止であるとしています。

私たちはちゃんと考えているのでしょうか。

私たちは困ってしまったり悩んでしまうことを避けていないだろうか。

支援者として悩んで初めて専門職としての真の姿になれるのだと思います。

そして、本当のことをちゃんと教えてくれる人、“信念をもった本物の人”に出会いその人から学ぼうそしているのだろうか。

先のアンドレア博士は、正義とは?慈愛と真実とは何か?をテーマに「それを開発する道はどこにあるのか。そのあり方を、模範となる体験を通して学び合う生き方交流の中にこそ自身の可能性の開発のカギがあるのです」と。

また、「その交流が見ず知らずの人とではなく、強い信頼関係に結ばれたものであれば、その可能性は最大に発揮されていくことでしょう」と話されています。

そして、厳しくも重要なことを次の内容で話されています。

「一方、いくら先人が模範を示し続けても、その意味を深く受け止め、内省と自己の開発の糧としていく心構えがなければ、可能性の開花は望めないのです」と。

 

要は教える側も教わる側も「両者が深い信頼で結ばれていなければ、生じないものなのである」とアンドレア博士は話されているのです。

 

3日間に分けて記しています内容はここまで。

難しい話でしたね。

 

今回の終わりに七夕の短冊の話の続き…。

もくれんに通われている皆さんの短冊を読んでいくとあることに気づかされました。

それは、ほとんどの願いが自分の願いではなく、人のことを案ずる願い事が多いということ。

孫が健康であるように…。嫁さんが元気でいること…。

 

人のことを心配できることがどんなにすごいことかを知ることになった七夕の短冊でした。