人を理解することは難しい。
なのに、私たちはアセスメントをすることでクライエントを理解できていると思うことはないだろうか。
私たちは、情報によって様々な現状や経過を理解することができる。
しかし、その情報ってなんなのだろう。
どんなに沢山の情報があっても、情報の洪水に飲み込まれてしまうばかりで、その人(クライエント)の考えから発せられる想いは見えてこないはずなのに、その情報がその人の姿として理解する。
しかも、客観的な視点ということで、その情報の方が本人の言葉よりも真実として捉えてしまう。
客観的な視点という情報より先に、その人(クライエント)が発する一つひとつの言葉を紡いでいくことの方がその人の内面は見えてくることが多い。
要は、“クライエントと話をする”という単純な行動。
心穏やかに接し、相手の話に耳を傾けて心を寄せていくことなのです。
もちろん客観的視点は、とても大切です。
冷静な目で見つめることができるから。
大概、私たちは、直接会って話を聞いても、耳に話が入ったと同時に「そうは言っても、本当は違うんじゃないかな〜」とか「本音は違うんじゃないかな〜」と聞く側の個人的価値観や先入観で聞くこととなり、やはり聞くも主観的になってしまう。
だから聞くときは心穏やかに、相手に耳を傾けて心を寄せる傾聴の姿勢が大切なのです。
客観的な情報は、今まで生きてきた中で様々な出来事に対して自分なりにどう理解し挑んできたかもしくは乗り越えてきたか。
場合によっては避けてきたことなど、その都度自分なりの答えを出すたびに新たな価値観を生み出し身につけてきたというその人の主観的行動の結果の積み重ねが目に見える情報として私たちの目の前に現れてくる。
ですから、目に見えている情報は、結果であって、
主観的行動の結果が生活歴の中に刻まれている。
沢山の情報の中にあるそれら様々な出来事はあくまでもエピソードであって、そのエピソードに対してどう捉えて行動したかは、人それぞれ違うものです。
そのどう捉えたかが、その人自身の価値観ということになるだろう。
私たちが知るべき情報は、出来事ばかりをかき集めるのではなく、彼らが経験したエピソードに対してどう捉えたのかというその人の捉え方が大切になってくる。
語られるエピソードに対して、その人はどう捉えたのか。
どんな思いだったのか。
そこに繰り返し耳を傾ける。
その繰り返しによってその人の思いや考え、大切にしておきたいことや苦手なことなどがわかってくる。
そうしたら、関わり方だけでなくその人の願いや心の位置が見えてくるものなのです。
目の前にいるその人に耳を傾けよう。
きっとその人の悲しみや辛さが見えてくるだろう。
しかし、その悲しみや辛さを乗り越えてきた力強さと静かな自信が伝わってくるはず。
そして、そのことによる歓喜や優しさに触れることができるだろう。
それは、どんな人の心にもきっとある。
私たちが、その人のエンパワメントを信じていれば…。